アルカナの少女

少女は突然やってきた。何故、どうして、このアルカナの世界に来たのか思い出せない。 きっと現実から逃げ出したいことがあったのだろう。辛い事があったのだろう。 しかし、少女は次第に願い始める。もう一度、自分のいた世界に戻ってみたいと……。

タグ:クレメンス博士の手記

 アルカナは一本の樹で繋がっているが、それぞれの世界は独立しており、いかに天使の系譜が尊かろうが、フローラアバンダンティアサラキアプロセルピナといった四つの根の世界の人々が常日頃メトロポリスを意識しているというわけではない。
 しかし、そんな彼らを含めて、アルカナのほぼ全ての民が、何日にもわたってメトロポリスの情勢に関心を持つ期間が二つある。
 一つは、アニマとアニムスの選定。そして、もう一つが、ここに記すアンゲルスの選定である。

 アニマとアニムスはアルカナの各地から選ばれる。
 その種族は問われず、七歳の少年と少女の中から選ばれるため、天使の系譜にない四つの根の民たちにとっても他人事ではない。
 ここ長らくユースティティアヴィクトリアから一人ずつ選ばれることが続いているものの、アルカナの歴史上、根の世界から選ばれたこともあるため、ひょっとしたらという空気は常に彼らの都にも流れているようだ。

 しかし、ニゲル君の話によれば、四つのいずれの都でも、それは飽く迄も夢物語として語っているにすぎないという。驚くべきことに、古より尊大な逸話の多い竜の民さえも、どこ吹く風といった具合に見守っているのだとか。

 それが、アンゲルスとなればなおさらである。
 遥か昔この大地に舞い降りた天使の代わりとして999名の精霊たちの声を窺う祭司の役目は、天使の血筋など不要と言われていても、やっぱりその系譜の者がなる場合が多いわけだ。

 現在のアンゲルスはアルカナの先王の弟君であり、高齢である。
 アニマとアニムスの選定が終わって四年。ユースティティアとヴィクトリアから一人ずつという安定感のある選定にほっとしたのも懐かしい。
 だが、またしてもアルカナは緊張感に包まれることになるだろう。

 現アンゲルスは、候補としてあがっている一人ひとりと向き合ったうえで、999名の精霊たちに報告し、彼らの会議が終わるのを待っているのだという。
 その間、精霊たちを感じられるのはアンゲルスだけ。しかし、候補者たちにつきまとう緊張感は誰であっても感じられる。

 ここ数日、パンタシア学院では、アルカナ各地よりアンゲルスの候補者として名指しされた若者たちが集まり、アルカナの伝承に関するあらゆる講義を聴講している。
 その中には当然ながらアルカナ王族の者もいるが、四つの根の世界やアウロラの彼方から呼ばれた者の姿もある。しかし、彼らよりも注目を浴びているのが、ユースティティアとヴィクトリアから呼ばれたそれぞれの候補者であった。

 アンゲルスは恐らくアルカナ王族――未婚の第三王女ヘレナ様であるだろうと考えられているが、万が一ということもある。
 ユースティティアの白鳥王の妹君であるルキア様や、王族の近親というわけではないもののヴィクトリアの黒鳥女王その人からのお墨付きであるという青年ノックスもまた、選ばれる可能性は十分あるだろう。

 次のアンゲルスが決まるまで半年。
 何事もなく決まることを祈り続けよう。

 アルカナに天使が降臨して3000年以上経つ現在、その神秘は今も薄れずに各地に根強く残っている。
 しかし、同じく残されているのが勝利の黒鳥ヴィクトリアが討伐しきれなかった怪物たちの遺恨である。
 天使の教えに同調したアルカナの民と、それに逆らう怪物たちのいがみ合いは古くより続き、この3000年で衰えることも知らない。

 とくに恐ろしいのが、目に見えぬ怪物たちによって生み出された混乱と、それによるアルカナの民同士の醜い争いである。
 近年、メトロポリスのみならず、アルカナ各地で緊迫した空気が漂い続けているのは気のせいではないだろう。
 根が腐れば木は枯れる。
 アルカナの危機には必ず天空からの使者が舞い降りるとされているが、その奇跡を願ってばかりでいてよいものか……。

 学びを深め、パンタシア学院で教えてきただけの私に出来ることは限られているだろう。
 しかし、せめてアルカナを巡るあらゆる事象のうち、気になる事について書き記してまとめて行ってみようと思う。
 この手記も、いつか誰かの役に立つかもしれない。

【アルカナの伝承】
 ・名前のない子ども
 ・九九九名の精霊たち

【アルカナの近況】
 ・アニマとアニムス
 ・アンゲルス

 アルカナと天空の間には、〈集会場〉エクレシアと呼ばれる聖域がある。
 そこにはアルカナの世界の代表として九九九名の精霊たちが集い、アルカナにおける重大な決定を人々に内緒で行っている。
 彼らの声はアルカナの祭司であるアンゲルスや、アニマとアニムスに届くため、アルカナを統べる王は彼らより精霊たちの意見を確認しなければならない。
 また、彼らは〈清めの門〉フェブルウスを監視する役目も担っている。門をくぐりたい者は、必ず精霊たちの審査を受けることとなり、許可が降りなければ門をくぐっても元来た場所に戻されてしまう事になる。

 九九九名の精霊たちの採用は、アルカナの人間たちの窺い知るところではない。
 ただし、フォルトゥナの書によれば、九九九年に一度だけ行われる精霊界での選挙と、それに伴う天空の許諾によって選ばれるのだという。
 精霊たちの姿は人間には見えないが、アルカナには彼らをもっとも身近に感じることが出来る者もいる。
 彼らの事をもっとよく知りたければ、〈生命の都〉フローラに暮らす妖精たちに訊ねるといいだろう。

 赫々たる精霊たちの声を聴き、アルカナの外と中を繋ぐ<天の扉>を守る双子……。
 アニマとアニムスは、そういう存在として太古の昔よりアルカナを見守ってきた。
 その正体は、アルカナの各地で生まれた五歳から十五歳までの子ども達であり、九九九名の精霊たちの助言を受けたアルカナの祭司――アンゲルスによって選ばれる。

 ふたりは血のつながりがあるわけではなく、また必ずしも人間であるとは限らない。
 この数百年の間は、ユースティティアヴィクトリアのそれぞれの子孫から一人ずつ選ばれているのが現状であるが、それも確実なことではないため、アニマとアニムスが代替わりをする時期は、それぞれの都では妙な緊張感に包まれているという。

 これを書いている現在も、アニマはユースティティアからアニムスはヴィクトリアから選ばれており、それぞれ今年で九歳になる。
 四年前、彼らが選ばれたときの緊張感は忘れようにも忘れられない。ユースティティアもヴィクトリアも、相手の都が選ばれ、自分の都が選ばれないことを恐れているらしい。

 無論、どちらも選ばれないなんてことはあってはならないだろう。

 結局、先代に引き続き、一人ずつ選ばれたからほっとしたものだった。しかし、四年経った今年、またしてもあの時の緊張感が生まれようとしている。
 アニマとアニムスを選んだり、アルカナ王に助言をしたりするアンゲルスの代替わりが近づいているのだ……。

 アルカナの歴史上、名前のない子どもの存在は度々報告された。その見た目は必ず人間であり、少女の場合が多いが少年であることもあった。
 共通しているのは、その全てが十代前半の児童であり、全員がアルカナに至る前の記憶の殆どを失っているということ、そしてここへ来た手段として「アルカナ遊び」をあげることだった。

 彼らの口にする「アルカナ遊び」というものが何なのか、これまでアルカナ人たちの多くが研究してきた。
 しかし、肝心の子どもたちは記憶を失っており、「アルカナ遊び」の手順すら覚えていないというのだから手がかりは現代をもってしてもなきに等しい。
 ただ、その口ぶりから推するに、アルカナの子ども達にもみられるような”ごっこ遊び”の一種であるのだろうというのが有力な説となっている。

 重視すべきは、名前のない子どもたちの出現する時代の共通点であろう。
 これまでの記録を全面的に信じるならば、子どもたちが現れた時代は、アルカナにとって重大な局面を迎える時代でもあった。
 そしていくつかの記録によれば、名前のない子ども達によってアルカナは常に良き方向へと向かってきたという。
 アルカナの救い主とも呼べる彼らはその後、元いた世界に戻ることを希望し、それぞれの時代のアニマとアニムスを通し九九九名の精霊たちの許しを得て、〈天の扉〉を潜っていったという。

 ゆえに、彼らは天使ではないかと推察する者もいる。

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